「ハンナの心は痛んでいた。彼女は主に祈って、激しく泣いた。」 Ⅰサムエル1:10

ハンナは、苦しみの中にいた。子どもが欲しいのに、与えられない不妊の苦しみだった。当時は迷信があり、不妊は神の祝福が無い事と思われ、周囲からそういう目で見られるつらさもあった。そして、もう一人の妻であるペニンナからの陰湿ないじめがあった。夫がハンナの方を愛していたため、激しい妬みによる事だった。

 

四方からの圧迫に、真っ暗な苦悩の中で「なぜこの事態が?」「なぜ自分に?」と必死に主に問う中で、まっすぐに主に向いて行った。切なる祈りの中で「この時に、この場に、この状況に」自分を置かれている主を見いだした。胎を閉じられたのは主であり、ペニンナからのいじめも主の御心の内であった。苦悩の中で、主に向き、主にすがり、お心を悟って行った。

 

主は、祈りの器としてハンナを選び、ハンナを用いられた。当時、人々は神から離れ、放縦に歩んでいた。社会は腐敗し、正義はなく、堕落し、祭司はおらず、神殿で不品行が行われていた。霊的な暗黒時代であった。神は、民を神に立ち返らせる霊的指導者を起こそうとされた。その指導者であるサムエルを、祈りによって産み出す事を計画された。ハンナはそのために用いられた。

 

あなたも、今、何もかもが閉じられた状況だろうか。今の環境の中で、あなたへの神のご計画がある。祈らせたいと思われ、祈りによって環境を開こうとされているだろうか。状況でなく、主の方に向き、焦点を合わせ、主のお心を悟れるように祈りを重ねよう。主は祈りに答えて下さる。

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ただ状況を嘆いているより、それを祈ってみよう。主に視点を合わせ日々の悲しい思いを率直に主に告げよう。全てを知っておられる主が時を定めて必ず最善をしてくださる。祈りは聞かれている。 

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係