「ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。」Ⅰペテロ5:6

平安が無く、心重く過ごす時間があるだろうか。何だかぎくしゃくし、イライラピリピリし、心が騒ぎ、荒れている時、主の力強い御手の下から出て、自分の力と自分の思いで、肉で歩んでいる。高慢になってしまっている。自分の思いで進もうとし、思うようにならないので、あちこちあ

つれきが生じる。不満がたまる。

 

御霊の気づきが与えられ、主の御前にへりくだる時、軌道修正され、心に平安が戻る。日常生活でしばしば経験する。水が低い方、低い方へ流れるように、主の恵みは、御前にへりくだる人に、溢れるばかりに流れて行く。高ぶった途端に恵みがストップする。

 

水は高い方へは流れない。高ぶりに気づく度に、悔い改めへりくだろう。山歩きに原則があると聞く。それは山で道に迷ったなら、迷った地点に引き返す事だと。なかなか、それが出来ない。何とかなると思い歩き回り、更に迷う。又、引き返すのは面倒と、先に進み、方向を見失い、死に

至ってしまう。

 

霊的生活も同様だ。そのまま行かずに、立ち止まり、へりくだる事だ。へりくだりは、肉が一番嫌い、したく無い事だ。それは、神と人への謝罪であり、「ごめんなさい」だ。プライドは、その一点だけは何としても回避したい。それ以外ならどんな事でもする。

 

しかし、主が求められるのがその一点だ。今、へりくだる事を示されているだろうか。御霊の示される事を認め、主と人の前にへりくだろう。そうできるよう祈ろう。必ず豊かな祝福を経験する。

 

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平安が失せる時、むくむくと自我が出ている。思い通りにならない不満でイラ立つ。又、自分で動き回る。肉で歩むと失敗し、主に頼っていない事に気づかされる。悔い改める時、平安が戻る。頼るようにと導いて下さっている。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係