「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。」マタイ6:34

主は、モーセに導かれてエジプトを出た民たちを、荒野に導かれ、そで40年間養われた。何も無い荒野で、天からマナを降らせられた。それを毎日1日分だけを集めよと。今日の分だけだ。6日目だけは2倍集めたるようにと。翌7日目は安息日で、集める事ができないからと。しかしある人々は、命令を聞かずに、翌日の分まで取り込み、残しておいた。が、それは虫がわき、悪臭を放った。

 

又、ある人々は、6日目に2倍集めないで、安息日に取りに出た。しかし安息日には、全く何も見つからなかった。主はこの事を通して、「わたしの教えてに従って歩むかどうかを試みられ」た。40年の間、1日たりともマナの無い日はなく、荒野で、主ご自身が民を養われた。これは「日ごとの糧」を表している。

 

主はその日の必要を必ず与えて下さる。明日の心配は無用だ。明日、明後日の糧を求めよとは言っておられない。今日の糧だ。明日のことは明日が心配する。今日1日の糧があれば充分だ。明日の心配は無用だ。能天気でよいという意味ではなく、主が心配していて下さるから無用なのだ。

 

「あなたがたの思い煩いをいっさい神にゆだねなさい。神が・・心配してくださるからです」の通りに。今日、糧が与えられている事を精一杯感謝して、明日は主にいっさいお任せしよう。主を信頼して行く時、主はどんな中も平安と喜びの中に守って下さる。

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今日のいっさいの祝福は主から来る。そう認めていても明日の心配がやってくる。この弱さをご存じで、主は今を支えてくださっている。主を信頼し、明日の祝福を信じていよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係