「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。」詩篇139:23

今、目の前に、難しく苦しい対人関係があるだろうか。なぜか攻撃対象にされてしまう。御霊に自らを探って頂いて、非があるなら悔い改め、非が無ければ立っておればよい。ある人は、自分への風当たりの強さを感じる中、祈りとみ言葉に支えられ、相手にかかわらず、挨拶し続けた中、心は不思議な平安に守られた。

 

又、心身が壊れるほどに苦しい状況なら、そこから出て、離れる事も導かれる。又、時に、主は訓練として、つらい環境に置かれる。そりの合わない相手が、目の前にいるだろうか。家庭、学校、職場、近隣で、悶々状態だろうか。この相手さえいなければ幸せなのに、なぜいるのか。環境を変えて欲しいと祈る。相手が変わるように祈る。

 

相手のあの言葉で傷つけられた。あの言葉さえなければ、私は傷つかないわけで、相手が悪いとしか見えない。いつしか相手を責めて、憎み恨んで行く。相手が、状況が変わるようにとの祈りは、時として、なかなか答えられない。経験するだろうか。嫌な相手のため職場を変わるが、又、次の職場にも同じような相手がいる。主は、何かを教えたくて、その状況に置かれている。

 

しかし一つ、必ず聞かれる祈りがある。それは「私を変えて下さい」だ。相手のその言葉に、態度に反応するその裏に何があるのか。自らの自我、隠れたプライド、劣等感、不安、恐れ、密かな虚栄心、様々な内にあるものを示し出して下さる。きよめて行って下さる。そこから出るようになら、そのように、又「私を変えて下さい」なら、そのように祈ろう。

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「わたしを変えてください」の祈りをしよう。知らず知らず握って離せないものを示される。感謝だ。主の導きは傷ついた道にさす一筋の光だ。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係