「ですからあなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。」ヘブル10:35

信仰生活の中で、特に難しい事の一つが「待つ」事だと言われる。約束の成就をなかなか待てない。待つことは、非常に厳しい訓練だ。私たちは誰しも、すぐに目に見える結果が欲しい。すぐに祈りの答えを得たい。忍耐が持てず、なかなか待てない。アブラハムは「あなた自身から生まれ出て来る者が、あなたの跡を継がなければならない」、天の星を数えられるなら、数えてみよ。

 

「あなたの子孫はこのようになる」と、子どもを与えると言われた。しかし、待てども待てども、なかなか子どもは与えられなかった。アブラハムは待てずに、サラの申し出を受け入れ、女奴隷ハガルにより、イシマエルを得た。主は子どもを与えると約束されたが、アブラハムは、待てずに、自分の思いと自分の方法で動いた。

 

アブラハムは86歳で、まだその力があった。その後、時を経て、アブラハムは100歳になり、自分のからだが死んだも同然になった時に、主の奇跡によりイサクが与えられた。約束は必ず成就する。しかし、それは自分の思う「時」ではなく、主が思われる「時」だ。自分の思い通りではない。祈りが答えられる「時」を、人が決めることはできない。今すぐにして上げようとは、言っておられない。

 

「神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です」そして、「あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません」と。確信を投げて、捨ててしまうなと。大切な確信だ。それは遅くなることはない。そして大きな報いをもたらすと。今、待ち望むよう導かれているなら、忍耐しよう。忍耐により、大きな祝福にあずかろう。

------------

主の御約束があっても待っている間には動揺もし、もう駄目だ無理だと不信仰がやってくる。その弱さを主はご存じだ。最初の確信に立ち返り留まろう。諦めずに祈り続けよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係