「子を産まない不妊の女よ。喜び歌え。産みの苦しみを知らない女よ。喜びの歌声をあげて叫べ。夫に捨てられた女の子どもは、夫のある女の子どもよりも多いからだ」イザヤ54:1

ある人が牧会していた教会で、問題が起きて、皆の意見が不一致

であり、人々が対立し、騒然となった。自分の力不足のせいと、

自らを責めた。苦しい悶々の日々であった。そんな中、信頼を置い

ていた人物が去り、大きな打撃を受けた。落ち込みの日々であった。

 

それに続いて去る人々も出て、問題に次ぐ問題で、心労で体調を崩

してしまった。なすすべなく、まさに窮地であった。意気消沈し、

立ち上がる気力も無かった。どうする事もできず、何をどうしてよ

いかもわからなかった。ぼうっ~と日を過ごしていた中、心に語り

かけて来る主の御声を聞いた。「子を産まない不妊の女よ。喜び歌

え。喜びの歌声をあげて叫べ」紛れもなく主からの語りかけだった。

 

子を産まない不妊の女は、まさに自分であった。しかし、「喜び歌

え」と言われる。「あなたの天幕の場所を広げ、あなたの住まいの

幕を惜しみなく張り伸ばし・・あなたは右と左にふえ拡がり」主から

の御声を聞いた時、状況と自分にしか向いていない目が、ふと主に

向いた。「喜びの歌声をあげて叫べ」視点が変えられた。

 

打ち沈んだ、無気力な心に、主を見上げる力が与えられた。ふっと

顔を上げることができた。御言葉を心に反すうした。「わたしがあ

なたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです」主の言葉

には霊がありいのちがある。私たちがどんな状態であれ、立ち上が

らせることができる。主を仰ごう。新しい力が与えられる。

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たった一言の御言葉が心に触れるとき光が差し込む。主からの慰め

だと自分を祝福してくださる主を感じて立ち上がれる。御言葉は霊

であり今を生きていくいのちだ。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係