悩み、問題にある人が、よく「私、私、私」の状態にあるのが、は
たで見ているとよくわかる。とにかく自分に固執していて、その自
己中心がトラブルの元である事が、第三者にはよくわかる。しかし、
自分がその渦中にいると、なかなかわからない。皆は幸せで、自分
は可哀想の自己憐憫、自分に注意を引くための自己主張、自分を認
めて欲しい、自分が評価されたい、とにかく関心が、内に向いてい
て、結局は自分になってしまう。
「どうせ私の事など、誰もわかってくれない」「どうせ~~」と屈
折してしまうと、祝福と逆方向へ行ってしまう。これは自己中心だ。
自分に執着し続けると、変わって行けない。肉の性質で、自分の願
望、自分の欲望、自分を喜ばせる事に終始する。主はその中から贖
い出して下さった。自己中心にしか生きる事のできない者に、新し
い性質が与えられた。
主に従おうとし、主をお喜ばせしたいと思う心だ。これは以前には
無かったものだ。新しい、御霊に導かれた性質が宿っている。自分
の思いを置いて、主の示される御言葉に一歩従ってみよう。一歩従
う時、次の展開へと導かれる。御言葉を、御霊の導きの方を選択す
る歩みだ。これにより少しずつ造り変えられて行く。
「どのように若い人自分の道をきよく保てるか」とあるが、私たち
も皆、霊的には成長途上の若い人だ。主のことばに従う事によって、
新しい性質が成長して行く。目の前に示されているみ言葉に、一歩
従ってみよう。
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悩みの中心が自分だろうか。思うようにならない事が原因なら自分
の無力にも気づける。感謝だ。貧しい心をもって主の元に行こう。
主の御言葉で歩める。
発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係