「神よ。まことに、あなたは私たちを調べ、銀を精練するように、私たちを練られました・・私たちは、火の中を通り、水の中を通りました。しかし、あなたは豊かな所へ私たちを連れ出されました。」 詩篇 66:10

詩篇記者が、主は、私たちを練られたが、豊かな所へ連れ出され、

と言っている。この世には様々な苦しみがある。経済的苦境、家庭

問題、健康上の恐れ、進路の悩み、又、対人関係で悩む人も多い。

時に被害者になることもあり、いわれのない誹謗中傷に苦しむ事も。

 

そんな時、「なぜ、私にこんな苦しみが?」と落ち込み、「なぜ?

なぜ?」とつらくてたまらない。そんな時、聖書から「苦しみ」の

意味を見いだせる。まず「罪の結果」としての苦しみがある。ダ

ビデはバテシバとの姦淫とウリヤ殺害の二重の罪を犯し、悔い改

めず、隠ぺいしていた期間、悶々の苦しみを通った。

 

"1日中うめいて、骨々は疲れ果て、骨髄は夏のひでりでかわきき

った"と。次に、罪とは関係無く、主から「試練」として送られて

来るものがある。主からの訓練だ。"愛する者を懲らしめ"愛ゆえの

鍛錬だ。罪の結果ではない。この時は試練として受け入れる事が、

祝福の秘訣だ。"試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思

いなさい"必ず一段階成長させて下さる。

 

又、時には理由がわからない苦しみもある。しかし主に無駄は一つ

も無い。耐えられない試練も一つもなく、脱出の道も備えられてい

る。患難は忍耐を生み、忍耐は品性を、品性は希望を生み出す。品

格が造り上げられて行く。今、試練にあるなら、必ず後に「苦しみ

に会ったことは幸せ」と言えるようになる。豊かな所へ連れ出して

下さるので、忍耐を祈って行こう。

 

・・・・・・・・・・・・

必ず試練は来るが、試練の最中は苦しい。砕かれるので、痛くてたま

らない。火の中、水の中だ。しかし振り返る時、この試練で、あの試

練で、この事、あの事を身を持って教えられ、自分が変えられた。確

実に豊かな所へ連れ出して下さった。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係