「人の子よ。わたしが、彼らの力とするもの、栄えに満ちた喜び、 愛するもの、心に慕うもの、彼らの息子や娘たちを取り去る日・・」 エゼキエル24:25

世の人々は災いを非常に恐れ、災いが無いようにと信心する。しか

しまことの神は違う。天の父は悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、

正しい人にも正しくない人にも雨を降らせる。だから平等だ。どう

だろう。主を信仰するなら、すべて商売は繁盛、病気やけがは無く、

受験はいつも合格、畑は常に豊作、大金持ちになるなら、誰も彼

もが、皆、信仰するのではないだろうか。

 

しかし主は、私たちにとり、不都合な事態も備えておられる。思い

通りにならない、つらい事柄が起きる。だがそれは試練であって豊か

な祝福とされる。私たちの信仰は、火で精錬される必要があると。

火の精錬により、金や銀から不純物が溶かされる。試練の時に初め

て、自分自身の心があらわになる。順境の時には知ることが無い。

 

主は私の心の何もかもをご存じであるが、自分が知らない。その自分の

本当の姿を見せられる。口先と、建前の思いとは異なるものだ。本

音では何を求め、何を慕い、何を頼り、何が喜びなのか。自分の力

としているものは、本当は何なのか。真に愛しているものは、執着

しているものは。平穏な時には決して出て来ない、心の本音が現

れ出る。

 

自らの本当の姿を知る。これに気づき、主の御前に認めて行く時に、

一段階ずつ成長が与えられて行く。自分の真の姿を知る事は、心砕か

れる、非常に痛い事であるが、それこそが、大きな祝福へと続く。

更に主と近く、親しく歩む者と造り変えられて行く。

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主の取り扱いがなければ、どこまでも試練を避けようとする者だ。

自分の本音に光が当たる事は痛いけれど感謝したい。それでも愛

されている事を知れる。主に手渡していける。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係