世の人々は災いを非常に恐れ、災いが無いようにと信心する。しか
しまことの神は違う。天の父は悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、
正しい人にも正しくない人にも雨を降らせる。だから平等だ。どう
だろう。主を信仰するなら、すべて商売は繁盛、病気やけがは無く、
受験はいつも合格、畑は常に豊作、大金持ちになるなら、誰も彼
もが、皆、信仰するのではないだろうか。
しかし主は、私たちにとり、不都合な事態も備えておられる。思い
通りにならない、つらい事柄が起きる。だがそれは試練であって豊か
な祝福とされる。私たちの信仰は、火で精錬される必要があると。
火の精錬により、金や銀から不純物が溶かされる。試練の時に初め
て、自分自身の心があらわになる。順境の時には知ることが無い。
主は私の心の何もかもをご存じであるが、自分が知らない。その自分の
本当の姿を見せられる。口先と、建前の思いとは異なるものだ。本
音では何を求め、何を慕い、何を頼り、何が喜びなのか。自分の力
としているものは、本当は何なのか。真に愛しているものは、執着
しているものは。平穏な時には決して出て来ない、心の本音が現
れ出る。
自らの本当の姿を知る。これに気づき、主の御前に認めて行く時に、
一段階ずつ成長が与えられて行く。自分の真の姿を知る事は、心砕か
れる、非常に痛い事であるが、それこそが、大きな祝福へと続く。
更に主と近く、親しく歩む者と造り変えられて行く。
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主の取り扱いがなければ、どこまでも試練を避けようとする者だ。
自分の本音に光が当たる事は痛いけれど感謝したい。それでも愛
されている事を知れる。主に手渡していける。