天の御国が、ぶどう園の労務者を雇う主人に例えられている。早朝、
9時、12時、5時に雇い、早朝の者には「1デナリ」の約束、9時と12
時は「相当のもの」を約束した。そして報酬の段になると、全員一
律1デナリだった。すると早朝の者が不公平だと文句をぶつけた。
長時間働いたのに同額とは、納得が行かない。5時なら、もう片付け
に入る頃だ。
この世の会社組織で起きたなら、混乱は間違いない。しかしこれは
天の御国の事を言っている。「私は気前がいいので」と主人は、溢
れるばかりに与えたい主人だ。特に5時の者は、働きたくとも誰にも
雇ってもらえず、5時までその日の糧が無い中で、どんなに不安で心
細い事だったろう。それが一転どんなに感謝な事だったろう。
あわれみ深い主であり、天の御国は、成果主義でなく、あわれみが
支配する場所だ。逆に、早朝の者は、1デナリの契約があり、1日
働けば、1デナリが保証されている。何の不安も無かったろう。実
はこれも大きな恵みだ。雇用されたのであり、されなかったらどう
だろう。それが、横を見て比較した途端、何もかも吹き飛んで、不
満と怒りしか無くなった。
比較にほんろうされると、妬みに陥ってしまう。又、動機も明らか
になってしまった。主人のために働く事は、したくない嫌な苦しい
事だった。私たちはどうだろう。嫌々、強いられてだろうか。動機
はどうだろう。今一度、主との交わりの中で、恵みと感謝に立ち返
らせて頂こう。溢れるばかり気前のいい主だ。
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比較に陥ると事実が歪んで見えてしまう。気前の良い主のあわれみ
により救われた者だ。そして、すべての思い煩いを主の上に投げか
ければ深い平安で今日を喜んで生きていける。何という幸いだろう。