ある人が、主を信じ救われた後、"~ねばならない"の律法にはまり
込んでしまい、頑張って、歯を食いしばって律法を行った。し
かし自分の力と努力なので、油の切れた状態で、苦しくてつらくなっ
て来る。どんどん疲れて来るのだが、これは正しい事とばかり、更
に自分の頑張りで進んで行ってしまう。自分はつらいので、頑張って
いない、
何もしていない人を見ると腹が立ち、裁いてしまう。忙しいマルタ
が、何もせず座っているマリヤに腹を立て、裁いたように。心の内
では人を裁き、喜びも平安も無い。そんな中、先輩クリスチャンに、
それは律法主義で、御霊によって歩む事が大切だと言われた。
行いでなく恵みによる救いは理解できて、理屈ではわかるのだが、
どうしても、御霊による歩みがわからない。恵みと言っても、ちゃ
んとした行いをしなければ、としか思えない。その時は、主の愛、
御霊による歩みが頭の知識でしかなく、実際が無かった。どうやっ
てもわからず、つらいばかりで、心底、主に助けを求めた。
その時、「わたしの恵みはあなたに十分」の言葉が光のように臨ん
だ。恵みは十分注がれてるよと、主が語って下さった。そして、
「弱さのうちに現れる」のだよと。弱くて良いのだと思った瞬間、
力が抜けて、解き放たれ、平安に包まれた。
おゆだねして行けば良いことで、安堵感でいっぱいだった、そして
主がずっと握り、捕らえて下さっていたことに感謝でならなかった。
私たち一人一人も、同様に主が握っていて下さる。
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これでもクリスチャンだろうかと自問自答しながら頑張るならすぐ
に油が切れてしまう。主に頼らず、自分に頼っているなら気づきた
い。主に助けを祈ろう。主の平安と助けが速やかにくる。