「 あなたがたは言った。『いや、私たちは馬に乗って逃げよう。』 それなら、あなたがたは逃げてみよ。『私たちは早馬に乗って。』 それなら、あなたがたの追っ手はなお速い。」イザヤ書30:16

ある人に突如大きな問題が起きた。大変な事になったとパニックだ。

いつも学んでいるようにまず祈るのだが、祈っている最中も、心は

座しておらず、立ってしまっていて、「どうしよう、どうすれば良

いか」と頭はぐるぐる巡り、心臓はバクバクで、方策を懸命に考え

ている。祈りではなく、あれこれと頭を巡らすばかりだ。

 

主を待ち望む事など無く、自分が立ち上がってしまっている。その

ため平安など全く無く、不安でたまらない。段々と最悪の結末の

シナリオまで鮮明に浮かんで来る。不安と恐れ、思い煩いでいっぱ

いだ。そんな心が暗く重い数日が過ぎ、余りにも苦しくて、主に叫

んだ。

 

その時、「やめよ」「わたしこそ神であることを知れ」「立ち返っ

て静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、

あなたがたは力を得る」と語られた。そして自分はまさに「いや、

私たちは馬に乗って逃げよう」と言っている者だと。心騒がせるば

かりで、何とかしようとしている、自分の姿を見せられた。

 

そのため、何もかもが自分の肩にかかるので、荷は重く、焦り、恐

れ、不安しかない。「やめよ」「静まれ」「わたしが神だ」「わた

しに信頼せよ」と言っておられる。問題に飲み込まれ、問題しか見

えておらず、主が見えていなかった。

 

口先で祈り、自分が動き回っていたことに気づかされた。祈りにお

いて、主に問題を持って行くように導かれた。不安しか無かった心

に、初めて安堵が与えられた。

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祈っても、祈っても気持ちが伴わない。与えられる結果が、自分の

思いと違うのが怖い。平安のない祈りをよく経験する。主に手渡せ

ない事を認めて、その思いを祈っていこう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係