ハドソン・テーラーの証しだ。彼は医者の助手として働いていた。
その医師に、自分はよく給料を渡し忘れるので、忘れたら言うよう
にと言われた。その時、その事を信仰の訓練としたいと思い、言わ
ずに祈り、主から答えを頂こうと決めた。そして案の定、給料を忘
れられた。切に祈った。段々食料も尽きて、残り銀貨1枚となった。
その時に、非常に貧しい子どもが来た。母親が病気だ。
しかし銀貨1つしか無い。2つあれば1つ上げるのに、1つなので
上げられないと思った。帰宅し、祈るが「偽善者」との思いが来る。
「祈るよりも与えるべきだ」と。そう出来ない自分に、主にだけ頼
る信仰はないと惨めになった。結局その銀貨を少年に上げた。財布
は空になったが、心はすっきり、晴れやかになり、平安と喜びで満
ちた。
その日の夕飯は残り物を食べた。だが翌朝からは何もなかった。す
ると早朝に郵便が届いた。封筒を開くと彼が与えたお金の数倍が入
っていて、驚いた。そのお金が無くなった頃、医師が給料の未払い
を思い出してくれた。神は真実であり、生きて働いておられる。
「彼らは信頼し、あなたは彼らを助け出されました。」
ツァレハテのやもめは、飢饉の中、餓死する前に子どもに最後の美
味しい食事をと思った、その最後の一握りの粉をエリヤに献げた。
最後の限界ギリギリのものを献げた、その時に、飢饉の間中、かめ
の粉は食べても〃尽きず、つぼの油は無くならなかった。饑饉のま
っただ中で養われた。真実な主が共におられる。
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ご誠実な主は、私たちが主に従いたいとの思いを知っていてくださる。
たとえ小さな行いでも、なかなか前に踏み出せなくても、主に信仰
をささげていこう。主はその叫びを無にされない。