ダビデはサタンに誘惑されて、人口調査という罪を犯してしまった。
人口調査自体は必要であり問題ないが、ダビデはその動機が間違っ
ていた。人口を事務的に調べるのではなく、ダビデのはそれによっ
て、自分の力、自分の業績を誇ろうとする高慢によるものであった。
人口に関しても、全ては主のみわざであり、誇るべきは主であった。
ヨアブがそれに気づき、やめるよう進言するが、ダビデは聞かなか
った。そしてダビデは、罪を犯してしまった。ダビデの罪の結果、
疫病により7万人が打たれた。自らの罪は自分だけでおさまらず、
周囲にも影響を及ぼす。
しかしダビデは罪を認め、悔い改め罪の赦しを乞うた。そして、3
日間の疫病という主の懲らしめを、罪の刈り取りを受け入れた。私
たちはどうだろう。主の御手から逃げようとするだろうか。罪の刈
り取りを、まっすぐ受け入れるという態度でなく、言い訳して、責
任転嫁して誰かを責める。
又、別の場合は、ただ自分を責めるばかりで、主に向かない。自分
に目が行くばかりだ。サウルがそうだった。彼は自分のした事を後
悔はするが、決して主のさばきの下に服する事をせず、何と霊媒の
もとへ行き、最後は自害してしまった。しかし、ダビデは、主のも
とへ行き、主の手に陥りたいと願い、主にすべてを委ねた。
私たちもダビデにならおう。罪を犯した時、隠れたり逃げたりせず
に、主のもとへ行き、悔い改めよう。主にお任せして、従って行こ
う。主のあわれみは深く、尽きないのだから。
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常に狙い、そそのかしてくるサタンの恐ろしさと同時に主の十字架
の赦しの有難さを思う。何と感謝だろう。罪を犯したならすぐに主
に行き、悔い改めよう。主の赦しにあずかり生きていける。