「彼は言った。『その人にあわれみをかけてやった人です。』するとイエスは言われた。『あなたも行って同じようにしなさい。』 ルカ10:37

当時ユダヤ人とサマリヤ人は敵対関係にあった。そのサマリヤ人が、

傷を負い倒れていた敵ユダヤ人を助けた。サマリヤ人の動機は「同

情」であり、それ以外の何の下心も無かった。あわれみ=かわいそ

うに思う心プラス行動だ。単に感傷的な同情で終わらず、そこに行

動が伴う。彼は、目の前で倒れ、助けを必要とする人に出来る事を

した。

 

関わりたくないと逃げず、「近寄って」、ぶどう酒は消毒に、オリ

ーブ油は薬として惜しげもなく使った。自分の家畜を使い、自分の

予定を急きょ変更し宿に同行。なおかつ一泊し、親身に介護の上、費

用も全額負担した。どこまでも至れり尽くせりだ。愛するとは犠牲

を払う事だ。自らの金銭、労力、時間を急きょの必要のために、彼

は惜しまずに献げた。犠牲を払わずして愛する事は出来ない。

 

そしてその後、彼はきちんと自分の仕事をするために出向いた。自

分の仕事をし、再び帰りにお世話をした。自分のなすべき責任を放

り投げて世話するのではない。自分の責任である家族を顧みず、人

の世話ばかりにかけずり回るのは違う。まず自分の責任を果たすべ

きで、なおかつ助けを必要とする人に、自分に出来る事をして行く

ことだ。

 

御霊が導いて下さる。今、御霊の示しがあれば「近寄って」、従お

う。祭司とレビ人は関わりたくなくて、遠ざかった。自らの何かを

献げて、仕える事を、今、示されているなら従おう。それが隣人に

なるという事であり、そこに豊かな祝福が備えられている。

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かつて主が近づき、どんなに親身に関わり続けてくださっただろう

か。主が今、導かれているなら、一つ一つ具体的に祈り、主が完成

させてくださる事を信じて従おう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係