「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」ヨハネ8:11

パリサイ人たちによって、姦淫の場で捕らえられた女性が、主の前

に引き連れて来られた。それは主を試し、攻撃し、追い詰めるため

であった。もし姦淫の女性を赦すなら、律法に違反する事になる。

しかし、もし律法に従うなら死刑だ、ならば主が説いている愛やあ

われみはどうなるのか。

 

問い詰めるが、主は、その問いには答えられず、「あなた方のうち

で、罪のない者が、最初に彼女に石を投げよ」と言われた。すると

年長者から去り、人々は次々と去り、結局、誰もいなくなって、主

と女性だけが残った。つまり彼らは、皆、良心に触れられ、自分の

罪がわかった。だが、罪を認めたくなく、向き合いたくないので、

主のもとから逃げた。

 

その女性だけは逃げずに、そのままそこにとどまっていた。皆から

何もかもを暴き立てられ、もう恥辱にまみれたボロボロ状態だ。隠

すことも出来ないというよりも、隠すものすらない状態だ。もう裸

そのものだ。そんな彼女は、砕かれてきっていた。

 

砕かれた心で、自分を断罪されない、自分を受け止めて下さる主を、

信じた。すると「わたしもあなたを罪に定めない」との主の赦しを

受けた。女性は罪が完全に赦され、「わたしに従う者は、決してや

みの中を歩むことがない」光の中を歩んで行く者とされた。

 

正しいパリサイ人たちは罪を認めず、闇の中におり、罪深い姦淫の

女性は罪赦され、闇から光に移され、光の中を歩んで行く。まさに

対照的だ。罪が照らされる時、非常に痛いが逃げずに認めよう。光

の中を歩み続ける者とされる。

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罪に目を背けていると主の赦しも受け取れない。ボロボロの状態で

隠さず御前に出たい。そこに主がおられ十字架がある。幾つになっ

ても新しくされるとは、何という幸いだろう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係