主を信じ新生した後も、生まれつきの肉の性質があり、互いに愛し
合い、仕え合うことは、なかなか難しい。相性の合う、好きに思え
る相手ならよいが、気難しい相手はどうだろう。ズケズケと批判し
非難してくる相手、攻撃的で、敵対心を持って向かって来る相手は
どうだろう。自分の力では、到底愛する事など出来ない。
心のひねくれた、屈折した人もいるし、悪意を持って傷つけてくる
人もいる。ややこしい相手と接する事になると、「なんで、この人
と」「今の環境から逃げ出したい」「だいたい、何で出会ったのか」
「この人さえいなければ、良い人生なのに」心は重く沈み、悶々状
態に陥る。
それだけでなく、愛するべきだと思うので、悩みは更に深まる。し
かし相手への非難、批判、憎しみは肉であり、サタンの攻撃が来てい
る。あれこれ過去の嫌な出来事を持って来ては、嫌な思いにさせ
る。しかしいつも学ぶように、あなたをそこに置かれたのは、主だ。
環境は主の支配の中だ。その所で、悩みや問題を通して学ばせたい
と思っておられる。
練り、鍛え、成長させて下さる。まず、ありのままの気持ち、思い
を、主に祈ろう。「この事さえなければ、どんなにか楽なのに」と
の思いをそのまま、主に持って行こう。主は受け止めて下さる。そ
して一つ一つなすべき事を示し、導いて下さる。その示しに一歩従
う時に、次に展開して行く。一歩ずつ手を取り、解決へと導いて下
さる。御霊が働いて下さる。
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信仰生活で、様々な問題は、次々と起きて来る。とにかく主のもと
へ持って行こう。どう解決して下さるかは、その時々で異なるが、
必ず導いて下さる。導きに従う時、肉を満足させる事はない。平安
安の落とし所へと導いて下さる。