「あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、 ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。」 Ⅰペテロ 5:6

日常でどうだろう。物事や対人関係が、何だかかみ合わず、イライ

ラピリピリし、平安が無い時、周囲を攻撃して行く時、それは主の

力強い御手の下から出て、主が飛んで、自力と自分の思いで歩んで

いるだろうか。高慢になってしまっている。しかし自分の思い通り

にならないので、あちこちに頭をぶつける。

 

痛いばかりで平安は無い。そんな中で御霊により、自我に気づかさ

れる。ある人が、理不尽に思え、納得が行かない状況にいた。誹謗、

中傷を受けるのだが、自分に非は無いと思う。陰で悪口を言われ、

つらくてたまらない。怒りも沸くし、悶々状態でいた。苦しくて、主

のみもとに行き、祈っていると、主の御手の下にへりくだりなさい

と語られた。

 

更に心を吐き出し、ずっと主と交わる中で、主の十字架を示された。

100%正しく、何の非も無い方が、犯罪者がかかる十字架にかかって

おられる。こんな理不尽があるだろうか。「キリストは、神の御姿

であられる方なのに、神のあり方を捨てることができるとは考えな

いで、ご自分を無にして」…。我に返れて、涙が出た。

 

ご自分を無にして、神のあり方をこの自分のために捨てて下さったと

は。「自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従

われたのです」。今まで頭でわかっていた事が、真に迫り来た。主

にゆだねて祈り終えた時、心が平安にされていた。そしてこの取り

扱いを通して、更に主のご愛、あわれみを知れた事に心から感謝し

た。

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主の恵みに気づかされ、力強い御手の下に謙遜にさせられる。相

手がどうであれ、自分自身が変われるならどれ程感謝だろう。相

手ではなく主を見ていたい。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係