「すると、主はろばの口を開かれたので、ろばがバラムに言った。 「私があなたに何をしたというのですか。私を三度も打つとは。」 民数記22:28

ろばが、しゃべったという有名な箇所だ。バラムがろばに乗ってい

たが、ろばが立ち止まった。だが実際は、主の使いが、ろばの前に

抜き身の剣を持ち立ちふさがったのだ。そのため、ろばは進めず、

うずくまってしまった。バラムは怒りでろばを3度打つと、ろばは

抗議した。

 

その時、主の使いが「敵対して出て来たのはわたしだ。あなたの道

がわたしとは反対に向いていたからだ」と言った。阻止は、主であ

った。私たちは苦しみや痛い事は避けたい。何とか逃れたいと思う。

しかし主は、私たちが間違った方向へ進む時、行く道を阻まれる。

立ち止まらせるためだ。それは、主の取り扱いだ。

 

そこに関わる相手や周囲を責めるのは、ろばを責めるのと同様で、

主の取り扱いを認める事が大切だ。その状況の中で、主のメッセー

ジを受け取ろう。何を教え、何に気づかせたいのか。もし今、あな

たの行く手が阻まれているなら、状況に右往左往でなく、まずそこ

に主を認めよう。主が立ちはだかっておられる。御心は別の道なの

だろうか。

 

主はバラムに「彼らと一緒に行ってはならない。その民を呪っても

いけない。祝福されているからだ」と言われた。しかし強行に出て

行くバラムに、主の使いが立ちはだかった。目の前に主の阻止を認

め、自分の思いを通すのでなく、そこで主の御心を尋ね求めよう。

幸いなベストの道に導いて下さる。

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目の前のものに引かれてどこまでも行ってしまう、迷いやすい者だ。

主は導き返してくださる。立ち止まらされるとき、主に祈り、間違

いであれば引き返そう。御心を歩みたい。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係