「もう航海は危険であったので、パウロは人々に注意して、『・・私たちの生命にも、危害と大きな損失が及ぶと、私は考えます』と言った。」使徒27:10

パウロが証しのためにローマへ導かれるが、思いとは違い、囚人と

してローマへ向かう事になる。護送の途中、船はクレテの良い港に

着いた。人々は越冬に、ここより良いピニクスまで進もうとの意見

だった。だがパウロはこの航海は危険で、命にまで危害が及ぶと強

く反対した。しかし人々はパウロの言葉を信じず、百人隊長も、パ

ウロより航海士や船長の方を信用し、出帆した。

 

すると案の定、大暴風に会った。私たちもどうだろう。常に二つの

声が聞こえ、二つの思いが湧き上がる。一つは御言葉による御霊の

声であり、もう一つは自分の思い、知識、経験による肉の声で背後

にサタンだ。世の価値観に基づき、判断する声だ。結局、どちらを

選択するかにかかる。彼らはなすすべなく積荷、船具も捨て、もう

最後の望みも消えようとしていた。

 

その時に初めて、人々はパウロの言葉に思いが至った。パウロは

「全て私に告げられた通りになると、私は神により信じている」と

皆を励まし、結果的に皆その通りに助かった。事態が生じた時、

「御言葉」と「自分の思い・常識・経験値・人の言葉・世の価値観」

が、しばしば相反する。

 

又、とっさに起きた時に、主を忘れていたら、御言葉以外のものに

流され、反対方向に向かってしまう。感謝な事に、御霊が気づかせ

て下さる。何かが起きた時、とっさに肉は、どうしよう、何とかし

なければと思ってしまうが、まず主を仰ぐこと、祈ることをしよう。

信仰は練習だ。繰り返しの中で身について行く。

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早く行ってしまいたい、安心したいと自分の思いを主の前に立たせ

てしまう。よくやってしまう失敗だ。自分の考えを主に委ねられる

ように祈りたい。主の御心こそを求めて祈ろう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係