奴隷ハガルは、サラの代わりにアブラハムの子を宿した時に、子が
産めないサラを見下した。そのためサラの怒りを買い、いじめに会
い、逃げ去った。荒野に逃げたハガルに、主の使いが泉のほとりで
語りかけた。ハガイは自分に語りかけた主の名を「エル・ロイ」と
呼んだ。それは「ご覧になる神」という意味だ。
「ご覧になる方の後ろを私が見て、なおもここにいるとは」と言っ
た。ハガルは、逃げて来た女主人のもとへ帰るように言われた。そ
して、生まれる男の子にイシマエルと名付けるようにと。「彼は野
生のろばのような人となり、その手は、すべての人に逆らい、すべ
ての人の手も、彼に逆らう。彼はすべての兄弟に敵対して住もう」
と。
「女奴隷の子は肉によって生まれ」とあり、肉は、もろに自己中心
で、奔放に自分の思うがままに生きようとする。しかしどうであれ
遣わされた場で、身を低くして、試練を甘んじて受けることが大き
な祝福へと繋がる。エル・ロイ「ご覧になる神」主が見て下さって
いる。信仰人生を歩む時、私たちは試練により造り変えられる。
練られ、鍛えられ、真に自分が変えられて行く。忍耐が培われ、見
えない主を信じる信仰が強められて行く。忍耐は、試練の中でしか
生まれない。今の環境に愚痴と不満が一杯で、逃げる事しかないの
なら、環境を変えても、又、逃げる。しかし、自分が変えられるな
ら、同じ環境が来た時に、乗り越えて行ける。
・・・・・・・・・・
逃げたハガルは、主から女主人のもとへ帰って、へりくだるように
言われた。男の子を与えるからと。どうであれ、主の御心の内にい
る事が一番の祝福で安全だ。状況から逃れたい時、主を仰ぎ助けを
求めよう。示しに従おう。絶えず目を留め愛して下さっている。
発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係