「神、その道は完全。主のみことばは純粋。主はすべて彼に身を避ける者の盾。」詩篇18:30

主の言葉は、足元を照らすともしびで、道の光だ。もし、車のガソ

リンやオイルの警告ランプが無ければどうだろう。又、飛行機や船

が、人間の目だけに頼って運行されたらどうだろう。悪天候で視界

がぼやけると、どこに向かえば良いか、全くわからない。だが正確

な計器があるなら、正しい方向へ進んで行ける。

 

私たちの人生も同様だ。どの道を進めばよいのか、進路がわからな

い時がある。そんな時の確かな計器が御言葉だ。ある女性が職場で、

チーフに抜てきしたいが、どうかとの打診を受けた。自分の能力で

出来るのだろうか。管理職であり、部下を持つなど不安だ。自信が

ない。思いが巡る中、そんな恐れもすべてことごとく主に告げ、御

前に祈っていた。

 

すると御言葉が臨んだ。「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。

たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、

あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る」。その言葉

で、不安や恐れがすうっーと消えて、平安になり、受諾の決心がで

きた。

 

別の女性は、携帯の無い時代に、初めての地を自転車で走行、

日没で、街灯もなく真っ暗になった。そこは海の近くで倉庫が並び、

人影無く、それだけでも不安だった。

一方は先が海で、もう一方は住宅街だ。真っ暗で先が見えず判断が

つかない。迷子だ。もし海に向かっていたら・・。又、変な人に会っ

ても怖い。真っ暗闇の中で、あんなに恐怖はなかったと。

 

その経験により、信仰人生において、み言葉が足の灯火であり、道

の光である事を身を持って、身にしみて理解できたと。問題に、様

々な岐路に、判断のためにみ言葉の光を求めて、歩むようにされた。

------------

迷いやすく主の導きがなければどこへ向かうかわからない者が、御

言葉により、祈りにより、小さな事でも主に教えられて歩める。な

んと心強い事だろう。正しい選択ができるよう祈り求めよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係