主の言葉は、足元を照らすともしびで、道の光だ。もし、車のガソ
リンやオイルの警告ランプが無ければどうだろう。又、飛行機や船
が、人間の目だけに頼って運行されたらどうだろう。悪天候で視界
がぼやけると、どこに向かえば良いか、全くわからない。だが正確
な計器があるなら、正しい方向へ進んで行ける。
私たちの人生も同様だ。どの道を進めばよいのか、進路がわからな
い時がある。そんな時の確かな計器が御言葉だ。ある女性が職場で、
チーフに抜てきしたいが、どうかとの打診を受けた。自分の能力で
出来るのだろうか。管理職であり、部下を持つなど不安だ。自信が
ない。思いが巡る中、そんな恐れもすべてことごとく主に告げ、御
前に祈っていた。
すると御言葉が臨んだ。「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。
たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、
あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る」。その言葉
で、不安や恐れがすうっーと消えて、平安になり、受諾の決心がで
きた。
別の女性は、携帯の無い時代に、初めての地を自転車で走行、
日没で、街灯もなく真っ暗になった。そこは海の近くで倉庫が並び、
人影無く、それだけでも不安だった。
一方は先が海で、もう一方は住宅街だ。真っ暗で先が見えず判断が
つかない。迷子だ。もし海に向かっていたら・・。又、変な人に会っ
ても怖い。真っ暗闇の中で、あんなに恐怖はなかったと。
その経験により、信仰人生において、み言葉が足の灯火であり、道
の光である事を身を持って、身にしみて理解できたと。問題に、様
々な岐路に、判断のためにみ言葉の光を求めて、歩むようにされた。
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迷いやすく主の導きがなければどこへ向かうかわからない者が、御
言葉により、祈りにより、小さな事でも主に教えられて歩める。な
んと心強い事だろう。正しい選択ができるよう祈り求めよう。
発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係