信仰生活の中で、どうだろう。主の御心に従うなら、物事がスムー
ズに行き、何もかもが、うまく行くはずだとの思いが無いだろうか。
御心に従わないなら、仕方がないが、従う以上は、もう大丈夫、順
風満帆との思いはどうだろう。しかし現実では、御心に従った途端、
問題にぶち当たり、苦しい状況に陥る。様々な試練に会う。
「え!なぜ?」「こんなはずでは」「うまく行くのでは」「御心で
はなかったのか?」「自分が御心を間違ったのか?」様々な思いで、
戸惑い悩んでしまう。ヨセフは、御心に従う中で、様々な足かせに
悩まされた。「彼らは足かせで、ヨセフの足を悩まし」とあり、鉄
の足かせに入れられた。
み言葉が実現するまで、主の言葉は彼を試したとあり、ヨセフは思
い通りにならない事の連続だった。しかし主の御心にとどまり続け、
遂に成就した。主が弟子たちに「さあ、向こう岸へ渡ろう」と言わ
れ、彼らが御心に従い、出発した中で、大嵐の試練に会った。御心
に従わなければ、大嵐に会うことも無かった。
しかしその中で、弟子たちは、主が、風も波も、自然界をも支配さ
れる方である事を、初めて知った。御心を歩む中で、試練が送られ
る。ある人が、仕事を祈り続け、職場が与えられた。祈りの答えだ
った。しかし配属部署の内容は、自分には難しく到底無理に思えた。
苦しい思いをし、「御心のはずなのに、なぜ?」と。辞めたかった
が、主から授かったので、辞めるわけにも行かず、祈りに祈り、皆
にも祈ってもらった。すると自分には出来ないはずなのに、まさに
主の力により出来るようにされ、みわざを拝する事と去れた。
------------
主の望まれるように事は成就してゆく。自分の思い通りばかりを追
っているなら、なぜ? なぜ?の連続ではないか。今、痛くても必ず
新しい扉が開く。主の御言葉を握り、最善を信じていよう。
発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係