「神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに 着せてくださった」創世記3:21

エデンの園で、アダムとエバは裸でいたが、罪が入った途端に、裸

でおれなくなった。ありのままの自分で、おれなくなった。これは

アダムの罪以来、私たちも同様だ。本当の自分を、人に見せる事

が出来なくなってしまった。誰にも言えない。心の奥に潜む、あの

妬みや、この憎しみはどうだろう。

 

誰かへの恨み、赦せない思い、又、プライド、虚栄心、人を見下げ

る優越感、コンプレックス、又、恥や罪意識、人には言えないが、

自分の心は知っている。皆が、ひた隠して生きている。本当の自分

の弱さ、劣等感、様々な恥は、知られたくない。そのため、いちじく

の葉で隠す。そのいちじくの葉とは、名誉、地位、功績、富・・。

 

何とか虚勢を張り生きているが、本当はもろい自分。そこを認め

ると、自分が崩れてしまうので、必死で立っている。しかし主は、彼

らに皮の衣を着せて下さった。動物の血が流され、作られた皮の

衣は、主の十字架のあがないの予表だ。この主のみわざにより罪

の赦しが与えられ、主の義が着せられる。

 

いちじくの葉で幾ら隠しても、その葉はすぐに枯れる。主は血を流

す事で作られた皮の衣を着せて下さった。十字架による罪の赦し

により、心底の平安が与えられる。そして、あるがままを受け入れ

られているので、突っ張る必要も、隠す必要もない。主の赦しに

おおわれている

 

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人には言えなくても、まず、主にだけは、繕うことなく、心の本音を

告げてみよう。主はさばかず、真実に受け入れて下さっていることを

知るので、あるがままの自分が愛されていることを、実感する。

主には何でも言えるようにされて行く。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係