「イエスは・・ピリポに言われた『どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか』」ヨハネ6:5

男性だけで五千人の群衆に、主はピリポに、彼らにどのようにパン

を食べさせようかと問われた。ピリポは、頭で計算して、手持ちの

金では到底不足で、無理ですと答えた。所持金と大勢の群衆、目に

見たところで、不可能だと結論を出した。どうだろう。ピリポは、

見えるところだけで判断し、そこには主が抜け落ちていた。

 

見えるところは絶対に無理で、不可能だが、主になら、どうだろう。

主に不可能だろうか。自分には出来ないが、主には出来る、これが

信仰だ。「人にはできないことが、神にはできる」。主は、その信

仰を求められた。なぜなら、主はすでに、何をするかを決めておら

れたからだ。「しようとしていることを知っておられた」。

 

詩篇記者は、軍力の大きさによっては救われない、人は力の強さに

はよらない、軍馬も軍勢も救いにはならないと言う。通常、戦争に

勝つには、兵力だ。百人対一万人なら、一万人が勝つだろう。とこ

ろが詩篇記者は、兵力は救いにならない、救いは主によると。主に

信頼し、主の指示に従って戦う時に、勝利を得る。

 

私たちはどうだろう。現実生活においては、兵力の多い少ないがす

べてだろうか。ピリポのように、見える所で決めつけているだろう

か。目の前の困難、問題、悩みに、見える所を見て、失望落胆して

いるだろうか。主が抜け落ちていないだろうか。今、あるがまま、

そのままの気持ちを、まず祈りに持って行こう。信仰を与えて、導

いて下さる。主は、しようとされている事があり、すでに決めてお

られる。

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初めは困難だと思われていた問題が、主によって勝利に終わった経

験はないだろうか。目の前の状態はネガティブに働くが、主と共に

超えていける。主を信じて祈ろう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係