「からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、 あなたの全身が明るいが・・」マタイ6:22

からだのあかりは目であって、目が健全なら、窓口である目から、

光が十分に取り込まれるので、身体全体が明るいと言っている。心

も明るい事になる。しかし目が悪いと、そこに光があっても、目で

しゃ断されてしまうので、光を身体に取り込めない。だから身体は

暗く、心も暗い事になる。

 

外には十分な光があるのに、窓から光が入らない状態だ。光が無い

のでなく、光は十分あり、輝いている。光の問題では無く、目が悪

いという、目の問題だ。目が見えないので、すぐそこに光がある事

がわからない。太陽が光り輝く中で、目を閉じていたらどうだろう。

太陽は輝いているのに、真っ暗闇だ。

 

問題は目にある。だから、目が暗闇にならないようにせよと。光は

主だ。主は常に輝いておられる。そして健全な目とは、「単一の目」

との意味だ。それは、光である主だけを見続ける目だ。だが、主に

対して目を閉じ、主ではなく、名誉、地位、富・・この世のものに、

又、心配事や思い煩いに、又、偏見、思い込み、独りよがり、又、

激しい憎しみや妬み、怒りに、目が釘付けならどうだろう。

 

それは目を閉じた状態になり、光が入らない。心は真っ暗になる。

見ているものを「よく注意せよ」と。赤い警告ランプが、目が悪く

て、青に見えていたらどうだろう。生死に関わってくる。主を見つ

めているなら、光が目の窓から豊かに入り、自分自身はすみずみま

で輝く。そして、それは自分だけでなく、周囲の人々をも照らして

行く。

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本当の光を受けていない内側の暗さ、その暗さはどんなでしょうと

主は言われた。この世の物も、自分の内側にも光はなく、主を見て

いないとすぐに失望してしまう。主の光を受け輝いていたい。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係