「彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた」ルカ10:39

マルタとマリヤのよく知られている箇所だ。マルヤもマリヤも、主

を大歓迎し、もてなしたいと願った。姉のマルタは、主と弟子たち

が、心地良く過ごせるために、きれいに掃除し、料理の献立も、懸

命に考えた事だろう。強いられて嫌々でなく、喜んでした事だった。

 

しかし、夕食の時刻が迫り、焦り、イライラピリピリして来た。急

がなければ、料理が間に合わない。喜んで始めた事が、重圧となり、

いら立ちとなる。油切れ状態だ。そんな時にマリヤを見ると、何も

せず、座っているではないか。なぜ手伝わないのか、腹が立ち、主

に文句を言う。だがマリヤは、何もせず怠けているのでなく、一心

に主の言葉に聞き入っていた。一言も聞きもらすまいとの、真剣さ

だった。

 

そして主はマルタに「どうしても必要なことは、一つだけ」と言わ

れた。これ以上に大切な事はないのだと。みことばを聞く事は、非

常に重要な事だ。まず聞かない限り、従う事ができない。何をして

従えば良いかわからない。つまり、みことばを聞く事は、主を愛す

ることだ。しかし容易な事ではない。人は、動く方が楽なのだ。

とにかく動く事で、奉仕で、主を愛していると思いたい。

 

だが、主は、みことばを聞く事が、どうしても必要な、ただ一つの

事と言われた。「わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほ

んとうにわたしの弟子」「わたしにとどまり、わたしのことばにと

どまるなら・・叶えられる」と。まずみことばを聞き、示された通り

に従う時に、喜びと平安に守られる。

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時間がない、祈っている暇はないと、焦ると本気で思ってしまう。

なんと的外れなことだろう。忙しい時ほど祈り、よく主と交わって

 

から動き始めたい。主の平安を受け取ろう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係