「『あなたがたは、いつまでどっちつかずでよろめいているのか。 もし、主が神であれば、それに従い、もし、バアルが神であれば、 それに従え』しかし、民は一言も彼に答えなかった」Ⅰ列王18:21

エリヤは、アハブにカルメル山に、全イスラエルと450人のバアル

預言者と400人のアシェラ預言者とを集めるようにと言った。アハ

ブはそのように集めた。そこにイスラエルの人々と群衆がいた。

エリヤは、それらの人々に向けて叫んだ。「いつまでどっちつか

ずによろめいているのか。もし、主が神であれば、それに従い、

もし、バアルが神であれば、それに従え」と。

 

心に定まりが無く、その場その場で、カメレオンようにころころ変わり、

自分に都合の良い方に従う。イスラエルは、元々神の選びの民

として、先祖アブラハム、イサク、ヤコブの神であるヤーウェを

知っていた。だが同時に、皆がアハブに従い、バアルやアシェラ

への偶像礼拝も、現実に行っていた。

 

状況により都合の良いように態度を変えた。「冷たくも、熱くもな

い。むしろ、冷たいか、熱いかであって欲しい。なまぬるく、口か

らあなたを吐き出そう」との状態だった。ヤーウェを拝み、バアル

も拝む、このどっちつかずにより、イスラエルに偶像礼拝が大き

くはびこった。国を堕落させ、滅びへと向かわせてしまった。

 

主に従うのでなく、肉は、自分の欲、体面、都合と、主ではなく、

自分中心に向かう。まず、どっちつかずである事を認め、助けを

求める時、主は従う者へと変えて下さる。主の愛を知り、主ご自

身を知る幸せは何にも代えられない。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

いつも自らの現状を認める事から祝福が始まる。肉は強く、自

分の思い通りに、好きなように生きて行きたい。払う犠牲にちゅ

うちょし、むしろどっちつかずでいたい。本心を認め、助けを求

 

めて、ありのままを祈ろう。主は導いて下さる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係