ダビデが、最も信頼していた議官の一人がアヒトフェルだった。
「私をそしる者が敵ではなく。それなら私は忍べた。私に向か
って高ぶる者が私を憎む者ではない。それなら私は、彼から身
を隠した。そうでなく、お前が。私の同輩、私の友、私の親友の
お前が。私たちは、一緒に仲良く語り、神の家に群れと一緒に
歩いて行ったのに」と。
反対者が敵対するのは、通常であり対処できる。しかし味方で
あり、同輩、一緒に行動して来た親友の裏切り、敵対は、心裂
かれるようにつらい。だがダビデは、目の前に起きる一つ一つの出
来事が、バテシバとの姦淫、その夫ウリヤ殺害の、罪の刈り取
りである事とわかっていた。ダビデは苦しみから逃げずに、正
面から受け止め、主と共に刈り取って行った。
親友が、実子に荷担する裏切りも「アヒトフェルの助言を愚かな
ものにして下さい」と主にゆだねた。主に祈り、信頼を主に置い
た。自分で対処せず、絶えず祈りに持って行った。息子アブシャ
ロムが謀反を起こし、ダビデに敵し、戦いの準備を進めていると
耳に入る。息子とは戦えない。ダビデは逃げる道を選択する。
「ダビデはオリーブ山の坂を登った。泣きながら登り・・彼と一緒
にいた民も皆、頭をおおい泣きながら登った」ダビデは泣いた。
どれほどの心痛だったろう。オリーブ山は主を礼拝する場所だ、
主の御心と受け止めたダビデは、更に主に拠りすがり、主に近
く歩む者とされた。
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ダビデに学ばされる。姦淫と殺害、その隠ぺいという大罪を犯
したが、悔い改めた。罪は赦されたが、自らが蒔いたものは、
必ず刈り取りがある。ダビデは主と共に刈り取って行った。
それをも訓練とされ益とされ、主のあわれみは尽きず限り無い。
発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係