「まことに私たちの心は主を喜ぶ。私たちは、聖なる御名に信頼している」詩篇 33:21

神学校を卒業したある若い働き人が、地方に開拓宣教に出た。

田舎の非常に固い地であり、宣教は困難を極め、なかなか人は

来ない。チラシを配っても人は来なかった。又、人が来ても、

続かなかった。頭では、田舎伝道は大変だと聞いていたし、理解

していたつもりだが、実際に経験し、もう心が折れそうだった。

 

そんな中、働きの成果が出たら喜び、出なければ、がっかりした。

人が来れば喜び、来なければ、落胆し、ひどく落ち込む。そん

な歳月を経て、ある時、気づかされた。目に見える成果で一喜一憂、

アップダウンし、自分は絶えず気持ちが不安定この上ない。それ

なら、常に成果を見つめ、成果を喜びとしているのであり、主を

喜びとしているのでは無いと。

 

見ているのは成果であって、主ではない。だからひどく落ち込んで

しまう。そうでなく、与え主を絶えず仰いで、どんな時にも、主を喜

んで行くなら、どのような状況の中でも、結果がどうであれ、喜び

がある事を教えられた。主が与えて下さったものを、祝福を、喜ぶ

のでなく、与え主である主ご自身を喜んで行くからだ。

 

そして主を喜んで行くなら、もし自分の思い通りに事が運ばない

としても、そこに不満は無い。主を喜び、信じているからだ。主の

ご計画がある事を信じ、主のしようとしておられる事がある事を

信じ、万事が益になる事を信じて行く。そんな中で、主は信仰を

鍛え、更に信仰を強めて行って下さる。今、見ているのは主だろ

うか、それとも主の与えて下さるものだろうか。

 

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主が与えて下さるものは嬉しい。しかしそこに軸を置くと、与えら

れなければ、落ち込み、祝福されていないのではと、さみしくなる。

軸を、決して変わる事のない主ご自身に置けるよう、祈ろう。すべ

 

ての道で、主を認めて行けるよう祈ろう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係