主は、ヨナにニネベに宣教に行くよう命令を与えられた。しかし敵
の救いは、ヨナの気に入らない。主に従わずに、反対方向タルシシ
ュの船に乗り、逃亡した。まさに「肉の願うことは御霊に逆らい、
御霊は肉に逆らう」だ。ヨナの自我が、御霊に逆らう。しかしそん
なヨナに、主はなおも変わる事なく愛を注ぎ、見捨てられなかった。
主は大嵐を起こし、船内で、誰のせいかと、くじを引く事になり、
ヨナに当たった。その結果、ヨナは海に投げ込まれる事に。主は
大きな魚を備え、ヨナを飲み込ませ、ヨナの命を守られた。この後、
ヨナはニネベに宣教に行く事になるが、人々が悔い改めると機嫌を
損ねる。これぞ肉、自己中心、わがままだった。
私たちはどうだろう。思い通りにならない事に、文句を言い、すね
ているだろうか。ヨナは自分の姿だろうか。自分を明け渡す時に、
御霊に従って生きる事ができる。3日3晩魚の腹にいた。すべてが
神のご計画の内であった。主はヨナを魚の腹に隔離され、そこで一
人きりであった。人からも外界からも、すべてのものから離され、
主の御前に置かれた。
私たちもまた、多忙のため祈る時間、考える時間すら失せると、世
の凄まじい勢いに飲み込まれ、自分を見失ってしまう。主の御声が
飛んでしまう。信仰者にとり、御声を聞くために静まる事がどうし
ても不可欠だ。ヨナのごとく強制的隔離の前に、自ら静まって愛の
御声に耳を傾けよう。これが今一番必要な事だろうか。
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肉体が疲れるように、霊的に弱っている状態に気づくことが必要だ。
主は御霊を通して日々慰めや励まし、導きを与えてくださっている。
静かに耳を澄まそう。御声を聞く時間を守ろう。
発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係