「神の神であられる方に感謝せよ。その恵みはとこしえまで」 詩篇 136:2

ある本に、こんな例え話があった。サタンが倉庫に、色々な「種」

を保管していた。それは、サタンが、人々の心に蒔くための「種」

であり、これから蒔こうとしていたところだった。様々な種があっ

たが、一番大量にあったのが「失望」という種だった。この種が

一番効率が良かったのだ。人々の心に蒔くと、すぐに芽が出て、

いとも順調に生育する。

 

そして、この種は多くの実を結ばせる。人々を主から離すことが

できる。これを蒔きさえすれば、後は放っておいても大丈夫だ。

だが、この種が、一つだけ何の効き目もない領域があった。幾ら

蒔いても、だめなのだ。育ったためしがない。「それはどんな種か

」の問いに、サタンは「感謝」、「感謝する心」と答えた。「失望」は

信仰者にとって、最強の敵だ。希望を奪い、期待させず、気力を

喪失させ、心を萎えさせてしまえば、どうにも出来ない事をサタン

は知っている。

 

逆に「感謝」のある所は、サタンが何もどうにも出来ない。サタンの

足場が無い。良い事、ポジティブな事を感謝するのは簡単だが、

一見不都合な事も、感謝するする事は、信仰であり、力だ。そこから

逆転、祝福へと繋がっている。なかなか感謝できないので、あるが

ままの気持ちを、まず告げよう。告げて、告げて行こう。

 

ある人が苦しい状況に、感謝できない事を告げ、そのままの気持

ちを主に吐き出し続けた。すると不思議に、何だか心が落ち着い

て、あったかくなり、御言葉が心に浮かんで来た。「何で?何で?」

の疑い不満でなく、主がいつも言われるように、感謝して行こうと

思えた。

 

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「感謝できない、無理です」と、まず、ありのまま祈ろう。御霊が働

いて助けて下さる。もし、感情がついて来なくても、意志を向けて

意志により、主に感謝を献げてみよう。そんな中で、一つ一つと

御言葉が浮かび、心が変えられて行くことを経験する。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係