信仰生活で、妬みや争いはどうだろう。誰かに対する内心の妬みや、
又、けんかし、敵対し、恨みや憎しみを抱いている問題があるだろ
うか。それは肉による事だと言っている。そして、肉的な信仰者の
問題は、心が満たされていないので、不平不満が周囲に向かう。相
手のせいにし、人を批判し、責めて、自分の心を落ち着かせようと
する。
生まれつきの肉の性質は、自分中心で、「キリストにある幼子」と
も言われている。幼児は、自分の思うようにならなければ、泣き叫
ぶ。よく店の前で、ひっくり返って泣きわめく姿を見る。肉は、自
分軸で思考し、判断して行くので、自分を正当化して行く。又、妬
みは、自分と同じようなレベルで、少し上とか、自分が持っていな
いものを持つ相手に向かうと言われる。
自分とかけ離れた、相手を妬むことは無い。同性間、同世代間、能
力もかけ離れず、少し上の相手に向かうと。そして妬みや争いがあ
るなら、ただの人のように歩んでいると。ただの人なら、世の人と
同じだと。では、どうすればよいのだろう。前の節に「御霊に属す
る人」が出てくるが、御霊に導かれて、御霊によって歩むことが大
切だと。
まず主のもとに行き、妬み、恨み、自己中心、虚栄、嘘、あるがま
まを認めて祈ろう。悔い改め、御霊の導きを求めよう。主は一つ一
つ手を取って導き、なすべき事を示し、御霊によって歩んで行け
るよう、教え助けて下さる。
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苦い思いが来るとき、御霊により気づけることは感謝だ。ありのま
まを祈り、導きに従い悔い改めよう。肉のままに流されてしまうが、
御霊に従う方を選べる。祈って従おう。
発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係