このサマリヤの女性は、暑い昼間に水くみに来た。普通は、涼しい
夕方に水をくむ。人目を避けての事だった。主は、彼女に飲み水を
求められた。そして会話の中で、夫を呼ぶようにと言われた。彼女
には、触れられたくないセンシティブな部分であり、「夫はいない」
とごまかし、やり過ごそうとする。
すると主が、夫が5人いたが、今いるのは夫ではないと、真実を告
げられた。彼女は罪の生活をし、傷を背負っていた。5回結婚し5
回離婚し、今は同棲中だ。その過去と現在のため、隠れた縛られた
生活をしていた。人々の噂の的であり、軽蔑されていた。この罪の
原因は、彼女の心の渇きであった。愛を求め、男性が自分を幸せに
してくれると信じ、次こそはと、結婚を何度も繰り返した。
しかし、渇きは決していやされず、暗い過去にふさがれ、喜びも平
安も希望も持てないでいた。主は、彼女の心の空洞をご存じであり、
彼女に会うために、わざわざサマリヤを通られた。主は、彼女に、
決して渇く事のない、生ける水を与えられた。その時、人から隠れ
ていた彼女が、人前に出て行き、主を伝えた。彼女の心はいやされ、
解き放たれた。
彼女に目を留めたれた主は、あなたにも目を留めておられる。どん
な過去であれ、赦され、いやされ、縛りから自由にされる。新たな視
点、神視点で見るようにされる。痛みがあったゆえに、主に出会え
た、高慢から守られた、十字架の意味が知れた。痛み、苦しみは、
必ず後に感謝に変えられる。
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誰でも十字架に自分の罪を赦され、主が与えてくださる溢れるいの
ちの泉を内に持つことが出来る。なんと感謝な事だろう。満たしを
外に求めてしまうが、心の渇きを主に認めていきたい。
発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係