「女は、自分の水がめを置いて町へ行き、人々に言った。 『来て、見てください。・・』」ヨハネ4:28

このサマリヤの女性は、暑い昼間に水くみに来た。普通は、涼しい

夕方に水をくむ。人目を避けての事だった。主は、彼女に飲み水を

求められた。そして会話の中で、夫を呼ぶようにと言われた。彼女

には、触れられたくないセンシティブな部分であり、「夫はいない」

とごまかし、やり過ごそうとする。

 

すると主が、夫が5人いたが、今いるのは夫ではないと、真実を告

げられた。彼女は罪の生活をし、傷を背負っていた。5回結婚し5

回離婚し、今は同棲中だ。その過去と現在のため、隠れた縛られた

生活をしていた。人々の噂の的であり、軽蔑されていた。この罪の

原因は、彼女の心の渇きであった。愛を求め、男性が自分を幸せに

してくれると信じ、次こそはと、結婚を何度も繰り返した。

 

しかし、渇きは決していやされず、暗い過去にふさがれ、喜びも平

安も希望も持てないでいた。主は、彼女の心の空洞をご存じであり、

彼女に会うために、わざわざサマリヤを通られた。主は、彼女に、

決して渇く事のない、生ける水を与えられた。その時、人から隠れ

ていた彼女が、人前に出て行き、主を伝えた。彼女の心はいやされ、

解き放たれた。

 

彼女に目を留めたれた主は、あなたにも目を留めておられる。どん

な過去であれ、赦され、いやされ、縛りから自由にされる。新たな視

点、神視点で見るようにされる。痛みがあったゆえに、主に出会え

た、高慢から守られた、十字架の意味が知れた。痛み、苦しみは、

必ず後に感謝に変えられる。

-----------

誰でも十字架に自分の罪を赦され、主が与えてくださる溢れるいの

ちの泉を内に持つことが出来る。なんと感謝な事だろう。満たしを

 

外に求めてしまうが、心の渇きを主に認めていきたい。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係