仲良しの友人がいるだろうか。もし、食事の待ち合わせをして、相
手が遅れている場合はどうだろう。何かすぐに連絡できない、急な
事が生じたと思うだろうか。又は、もしや事故にでも?と心配する
かもしれない。その時に、相手に裏切られた、捨てられた、もう愛
されていないと思うのだろうか。人間相手ですら思わないのに、まし
てや極みまで愛して下さっている、主に対してはどうだろう。
祈りの答えが遅れている時、物事が自分の思い通りにならない時、
すぐに主の愛を疑い、真実を疑い、不信仰に陥ってしまうだろうか。
ある男性が経済的苦境にあった。支払い期日が迫り、どうにもなら
ず。祈ると「栄光の富をもって必要をすべて満たす」と言われた。
だが、心は騒ぎ、不安で不安でたまらない。
その時、親友から電話で、突然の収入があり、役立てて欲しい。振
り込んだからと。もう天にも上る心地で、喜び満ち、感謝した。する
と御霊の声が。「なぜ不安が消えた?」「え!振り込んでくれたので」
「それは見たのか?」「いいえ、まだ。でも友人が言ったので」「主も満
たすと言われたね」。
友人の言葉は信じ、主の言葉は信じられなかった自分に気づかさ
れた。心から悔い改めた。信じる者に、主を信頼して行く者に変え
られて行きたいと祈った。そして友人を通して、主がすべての必要
を満たして下さったことに、心から感謝した。
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目に見える人は信じれて、目に見えない神は難しいだろうか。「信
じます。不信仰な私をお助けください。」と、叫んだ父親のように、
不信仰な私を助けて頂きたい。主は助けて下さる。まず、信じよう
との意志を向けて行こう。御霊がそこに働いて下さる。
発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係