「主を恐れる者たちよ。主に信頼せよ。この方こそ、彼らの助け、また盾である」詩篇115:11

仲良しの友人がいるだろうか。もし、食事の待ち合わせをして、相

手が遅れている場合はどうだろう。何かすぐに連絡できない、急な

事が生じたと思うだろうか。又は、もしや事故にでも?と心配する

かもしれない。その時に、相手に裏切られた、捨てられた、もう愛

されていないと思うのだろうか。人間相手ですら思わないのに、まし

てや極みまで愛して下さっている、主に対してはどうだろう。

 

祈りの答えが遅れている時、物事が自分の思い通りにならない時、

すぐに主の愛を疑い、真実を疑い、不信仰に陥ってしまうだろうか。

ある男性が経済的苦境にあった。支払い期日が迫り、どうにもなら

ず。祈ると「栄光の富をもって必要をすべて満たす」と言われた。

だが、心は騒ぎ、不安で不安でたまらない。

 

その時、親友から電話で、突然の収入があり、役立てて欲しい。振

り込んだからと。もう天にも上る心地で、喜び満ち、感謝した。する

と御霊の声が。「なぜ不安が消えた?」「え!振り込んでくれたので」

「それは見たのか?」「いいえ、まだ。でも友人が言ったので」「主も満

たすと言われたね」。

 

友人の言葉は信じ、主の言葉は信じられなかった自分に気づかさ

れた。心から悔い改めた。信じる者に、主を信頼して行く者に変え

られて行きたいと祈った。そして友人を通して、主がすべての必要

を満たして下さったことに、心から感謝した。

 

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目に見える人は信じれて、目に見えない神は難しいだろうか。「信

じます。不信仰な私をお助けください。」と、叫んだ父親のように、

不信仰な私を助けて頂きたい。主は助けて下さる。まず、信じよう

との意志を向けて行こう。御霊がそこに働いて下さる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係