パリサイ人と取税人が宮で祈った。パリサイ人は、自分は罪人のよ
うでなく、ことにこの取税人のようでない事を感謝した。ゆする者、
不正な者、姦淫する者でなくて感謝だと。そして律法を守り、善行
をしていると。週に2度断食をし、すべての収入の十分の一を忠実
に献げていると。そのパリサイ人は自分を義人と自任し、他の人々
を見下していた。
彼は細心の注意を払い、律法を守っていた。見たところ立派な行
いをしていた。しかし遊女や取税人を、見下し、軽蔑していた。外
側、正しい事を行っていても、心の中で、罪人を裁き、見下し、赦
せないなら、「この人が、義と認められて家に帰りました。パリサ
イ人ではありません」との通りで、自分を義人だと自任していたが、
主からは義と認められなかった。
他の箇所に、資産家である青年が出て来る。主のもとに来て、戒め
について「そのようなものはみな、守っております」と言った。
「隣人を愛せよ」と言われ、「守っている」と答えたが、実際は貧
しい人に施す事ができず、主のもとを去った。放蕩息子の兄も「戒
めを破った事は一度もない」と言い、放蕩して戻った弟に怒りが湧
き、赦せない。怒りで家に入ろうともしない。
外側善行をしている人々は、義人だと思うので、内側の罪がわから
ない。だが取税人もザアカイも自分の罪がわかった。ザアカイは大
喜びで主を迎え、罪の償いをした。この取税人も「私をあわれんで
下さい」とあわれみを求めて祈り、「義と認められ」帰った。
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信仰を持っていることも、何か人より少しはましだと考えてしまう
ような者だ。高ぶりは気づかない。主のあわれみを受けて、赦され
て、今ここにいることを覚え感謝したい。
発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係